2006年6月9日(金)キリストが形づくられる

 ご機嫌いかがですか。安田恵嗣です。

 新約聖書のガラテヤの信徒への手紙第4章19節に次のような御言葉が記されています。
 わたしの子供たち、キリストがあながたたのうちに形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。

 この言葉は、まさに母の胎内に子供の姿がだんだんと形づくられていくことを表すものです。新しい命を胎内に宿すということを経験なさった方は、胎動の経験をなさったでしょう。そのことは大いなる喜びのことではありますが、苦しみをも伴います。胎内で新しい命の成長を忍耐しながら、出産の苦しみと喜びを迎えます。

 パウロは、そのようにして私たちの中にキリストが生まれることの苦しみを語るのであります。伝道者の働きはそのようなものです。私たち一人一人にキリストの形が刻印されるように働いたのです。しかし、それは決して伝道者の手による働きではなく、キリストの働きです。パウロはキリストの業をここで語っているにすぎません。

 私たちと神さまの間には、イエス・キリストによって橋が渡されました。皆さんにキリストの形が現れるためです。そのことによって私たちは何と幸福なことかと言えるようにされるのであります。お互いの間に主イエス・キリストの橋が渡されていることを喜び合うことができるのであります。そのことにまさる恵みはありません。