2006年7月4日(火)心の渇きをもって

 いかがお過ごしですか。新所沢教会の長石です。

イエス様が十字架上で息を引き取られる前に語られたお言葉一つに「渇く」という言葉があります。イエス様はこのときどんな思いで「渇く」と言われたのでしょうか。ヨハネ福音書は、それがどのような状況の中で語られたのかを次のように述べています。

「この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、『渇く』と言われた。」この「渇く」という言葉は、世に来られた救い主として、ご自分の命を注ぎ尽くした果てに出た言葉であったことがわかります。喉が渇くならば、水を飲めば癒されます。心がカサカサにすさんだのなら、優しい慰めの言葉が心を潤します。

 しかしイエス様の渇きは、地上のいかなるものをもってしても癒されない深刻なものでした。この時立ち会った者たちは、ぶどう酒を含ませた海綿を差し出しました。それは死刑囚の苦痛を和らげるために憐れみとして与えられたのです。しかしイエス様が、本当に求めておられたものは何だったのでしょうか。それは水でも、ぶどう酒でもなく、イエス様に何かをするということでもなかったのです。むしろ反対に、イエス様が私たちにしてくださったことを感謝して受けること、すなわち私たちが、心の渇きをもって救い主を信じ見上げることだったのです。