2006年7月5日(水)神にゆだねて

 いかがお過ごしですか。新所沢教会の長石です。

 イエス様が十字架上で語られた最期の言葉に「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」という言葉があります。この「ゆだねます」という言葉は、神を信じる者にとってとても重要な意味があります。というのは、信仰者は皆、神様に「ゆだねる」ことによって、自分の限界を超えて働く神の偉大な御業に与り、その恵みを受けることができるからです。実際イエス様は、この言葉の直後に息を引き取られましたが、そのことによって、復活へと続く神の偉大な御業が、力強く進んでいきました。

 もしもイエス様が、ゆだねることをされなかったなら、死を味わうこともなく、十字架から降りて敵たちを滅ぼされたことでしょう。しかし神にゆだねることによって、イエス様という一粒の麦は死にましたが、多くの実を結ぶことになったのです。

 イザヤ書53章11節にはこうあります。「彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。」イエス様の死の直後のあの静けさは、神の裁きを身代わりに受けられた結果、もたらされた静けさでした。神の裁きは終り、復活への曙が昇り始める前の静けさだったのです。あなたも神にゆだねることによって、救いに与って下さい。