2006年9月15日(金)新しく生まれる

ご機嫌いかがですか。安田恵嗣です。

新約聖書のヨハネによる福音書3章に、ユダヤの指導者、議員であり、名門ファリサイ派に属していた人にニコデモという人がいます。彼が、夜ひそかにイエスを訪ねてきました。悩むところがあり、考えるところがあったと思われます。学識、豊富な経験、社会的地位があり、指導者と崇められているニコデモでも、悩み、迷い、人に話せない孤独な問題を持っていました。その彼が、人の目を気にして、夜ひそかに、イエスを訪ねました。
イエスは、ニコデモの質問に単刀直入に、「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(3節)と言われました。新しく生まれるのは、まことの信仰を持つことによります。神の国を見るとは、神の支配を理解すると言うことです。人は信仰を持って、はじめて、神のことが分かります。多くの人は、神のことが分かり、奇跡や聖書について納得できたとき、信仰を持つものと考えますが、まったく逆です。
私たちは、イエスを救い主として信じ、受け入れたときに、「新しく生まれた者」となります。

ニコデモは、イエスの答えに驚いて、「もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか」(4節)、「どうして、そんなことがありえましょうか」(9節)という言葉を残してイエスのもとを去りました。ヘブライ人への手紙11章1節に、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」と述べられているように、神と神の言葉を信じるということから第一歩が始まるのです。