2006年11月15日(水)独り子を給うほどに

ごきげんいかがですか。羽生栄光教会の村田寿和です。
新約聖書のヨハネによる福音書3章16節にこう記されています。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

今年の1月に、私に娘が生まれました。私は今年で32歳になりますが、一児の父となったわけです。お父さんになりまして、独り子をお与えになった神様の愛というものを瞑想することが多くなりました。親にとって、我が子はかわいいものです。何を犠牲にしてでも守りたいと願うものです。

けれども、神様は、その独り子を私たちのために、お与えになりました。私たち罪人の身代わりとして、愛する御子イエス・キリストを十字架につけることをよしとなされたのです。よく、神様は愛のお方であると言います。しかしそもそも、なぜそのように断言することができるのでしょうか。それは、神様が私たちのために、愛する独り子さえも死に引き渡されたお方であるからです。神は独り子を給うほどに、あなたを愛しておられるのです。

今日の聖書の言葉。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3:16)