2006年12月26日(火)救いの味わい

ご機嫌いかがですか。勝田台教会の安田恵嗣です。

新約聖書のペトロの手紙一 2章3節に次のような表現があります。
「あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました」。

「恵み深い方」という言葉があります。ギリシア語の原語では「クレーストス」と言います。クレーストスはギリシア語の「クリストス」とよく似ています。クリストスは、日本語では「キリスト」と表記されています。つまり「主はクレーストスである」というのは「主はクリストスである、キリストである」という言葉と重なり合います。
この「クレ−ストス」という言葉は、もともと「これはわたしの役に立つ」という意味の言葉です。ある便利なものを発見し、これは役に立つと思い、何としてでも手に入れなければならないと考えます。そのように自分にとって有益な、気に入ったものを意味しています。そこから始まって、例えば、美味しいものを食べて「これは美味しい」と言うときにも「クレーストス」と言うようになりました。

ですから「主は恵み深い方だということを味わいました」と書いています。「味わい知る」のです。食べ物に関する言葉が続くのです。「主はキリストである」ということは、具体的な表現を求めます。私たちにとって主と仰ぐ方の味わいは現実的なのです。キリストを主として仰いでいくとたいへん気持ちがいい。本当に自分を生かしてくださり、役に立ってくださっている。まるで美味しい食べ物のようである。それだからこそ、当然のように「味わいました」という言葉を用いたのでしょう。

今年だけではなく新しき年も、主イエス・キリストはあなたにとりまして恵み深い方でいてくださいます。