2006年12月27日(水)キリストの足跡に従う

ご機嫌いかがですか。勝田台教会の安田恵嗣です。

新約聖書のペトロの手紙一 2章18節に、このような文章があります。
「召し使いたち、心からおそれ敬って主人に従いなさい。善良で寛大な主人だけではなく、無慈悲な主人にもそうしなさい」。

「召し使い」という言葉は、「家に属する奴隷」という意味の言葉です。「無慈悲な主人」は、要するに不当な扱いをする主人に向かっても、従順に仕えなさいという勧めです。こんなばかな話はあるかと思います。
そういう召し使いたちに「召し使いたち、心からおそれ敬って」と語りかけるのです。これは何を意味するのでしょうか。この「おそれ」は、神に対する畏れを意味すると理解されてきました。キリストによって解放された人間は人間を恐れることはもうありません。これは大事なことです。しかし、それは何者をも恐れなくなったということではなくて、神を本当に畏れるようになったということを意味します。

神が私たちを何に基づいて優等賞を与えるに値する、値しないと判断なさるのでしょうか。勉強するときにも、とても大切な勉強法の一つは、お手本を与えられて、その通りにやってみるということです。
21節に次のように書いてあります。「あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです」。私たちの生活は、主イエス・キリストが、踏んでくださった足跡を踏んでいけばよいのです。