2007年3月19日(月)神の家族として生きる

ご機嫌いかがですか。勝田台教会の安田恵嗣です。

教会は、昔からいろいろな言われ方をしてまいりましたが、一つの表現として<神の家族>という言葉があります。

主イエスは、「神の御心を行なう人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」とおっしゃっています。

「神の御心を行なう人」とは、主イエスが語ってくださる御言葉に耳を傾けることであります。そこに神の御心が聞こえてくるのであります。

信仰に生きるということは、ただ自分だけが神さまを見つめて生きていくということではありません。この世の流れなどを無視し,超越して生きていくことではありません。このことを間違っていただきたくありません。イエスを信じる私たちが神の家族となるということは、私たちの心は愛に向かって動いて行くのであります。信仰に生きるということは、共に生きる人々にとって慰めとならなければなりません。これこそ神の家族の姿ではないでしょうか。別段、目立って大きな声を挙げてする必要はありません。静かに、しかし神と共に働くのであります。主イエスがここで求められていますことは、神と共に働き神と共に生きるということであります。

主イエスの愛は、変わることはありません。そればかりではなく、私たちを罪から救うためにイエスが十字架において死ぬという神の御心は行なわれたのであります。神の恵みは、そのようにして私たちの救いのために貫かれたのであります。神さまの方が、激しく私たちのために動いてくださいました。