2007年5月17日(木)一粒の塩として

お元気ですか。新座志木教会の弓矢健児です。

塩というのは、わたくしたちの生活に欠かすことの出来ないものです。それは単にお料理に欠かすことが出来ないと言うだけではありません。そもそも塩分が無いと、地球上の多くの生物は命を維持することができないのです。もちろん、塩分を取り過ぎますと、いろいろな病気の原因になりますから、注意しなければなりません。しかし、塩そのものは、わたしたちの命にとって欠かせないものなのです。

そのような塩ですが、イエス様はマタイによる福音書5章13節で、イエス様の弟子である、わたしたちクリスチャンを、その大切な塩にたとえておられます。何故でしょうか。それは、すべての生き物にとって塩が欠かせないのと同じように、神様が創造なさったこの世界の中で、クリスチャンの存在は、それぐらい欠かすことのできない存在であるからです。
確かに、この世界には多くの罪や問題があります。神様を悲しませるような出来事が毎日のように起こっています。しかし、そうであるからこそ、クリスチャンには地の塩としての大切な役割があるのです。
もちろん、一人一人は一粒のちっぽけな塩粒に過ぎません。「自分にはとてもそんなことは」と思うかもしれません。しかし、神様はそんな一粒一粒に大切な塩気を与えてくださっています。そして、そんなあなたといつも一緒にいて励ましてくださるのです。