2007年6月29日(金)神の言葉を無にする

ご機嫌いかがですか。勝田台教会の安田恵嗣です。

主イエスが語られた言葉でたいへん目を惹く言葉があります。「あなたたちは神の掟を捨てて」とあります。また、「よくも神の掟をないがしろにしたものである」と言われ、そして、「神の言葉を無にしている」と言われています。

どうしてこんなにも厳しくイエスさまはおっしゃるのでしょうか。それは、私たちが無効にしています神の言葉を、もう一度、真実に通用する言葉として回復するためです。言い換えますと、私たちが主イエス・キリストを信じて生きるためには、私たちの生活の中で神の言葉をないがしろにするようなことは、起こるはずがないということです。私たちの生活のさまざまな場面において、神の言葉に生きていることが問われるのであります。
主は、「あなたたちは、自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである」と言われました。「よくも」とは、「見事に」と同じ言葉です。ですから、「あなたたちは、見事に神の掟をないがしろにしている」と訳すこともできます。見事ということは、実は醜い姿ではなく見栄えのする姿です。真実こそが美しいはずなのに、偽善も美しい姿を見せるのです。主イエスが神の言葉の回復のために戦われたときに、厳しく問われたのが偽善です。「偽善」とは、訳者が仮面をつけて芝居をすることから来ています。人の目に見栄えよく生きようと思うからこそ、私たちは偽善に誘われてしまいます。

主イエスが私たちを愛するため、神の言葉を回復するために十字架にかかってくださったことを覚えておかなければなりません。神の御子イエス・キリストの十字架の死なくして、私たちが罪から救われることはないからであります。