2007年7月5日(木)心貧しく悲しむ者

いかがお過ごしでしょうか。湘南恩寵教会の鈴木牧雄です。
今日も最初に、聖書の言葉に耳を傾けたいと思います。マタイによる福音書5章2節からです。

「心の貧しい人々は、幸いである。
   天の国はその人たちのものである。
 悲しむ人々は、幸いである。
   その人たちは慰められる。」

心の貧しい人とはどういう人のことなのでしょうか。日本語の印象からは、心も腰も低い謙遜な人のことを思い描きますが、そうではありません。心というより人格の低さ、人間としての存在そのものの貧しさのことです。つまり、世間的にはマアマアであっても、自分という人間の人格や魂をさらけ出すとするなら、実に貧しい。誇れるどころか恥ずかしいと、神に対して自覚しているのが、心の貧しい人です。

ところで私たちは、心の貧しい人でしょうか。人に対して自分を低くして人間関係をスムースにすることはいとわないのに、神と自分自身に対してはなかなか正直になれません。そうであるなら、決して人格や魂が豊かに平安になることはありません。
しかし、「正直に気付いて自分に悲しんでいるなら、すでに神に受け入れられている。私の言葉に聞こうとしているあなたがたは、必ず慰められる」と、主イエスはおっしゃってくださっています。だから、自分の魂を見つめて、心貧しく悲しい者と思う人は幸いです。神の救いと慰めにあずかることができるからです。