2007年7月10日(火)神の平和

いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
ルカ福音書2章14節では、天の軍勢が救い主イエス・キリストの誕生の意味を高らかに讃美しています。

「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」

これは、キリストの誕生により地に平和がもたらされたことを歌っています。平和というと、わたしたちは戦争のない状態を思い浮かべますが、キリストが誕生して2000年、地上から戦争が無くなり平和になったとはとても言えません。では、救い主の誕生は失敗だったのでしょうか。
キリストの平和とは、戦争がないことではありません。平和と訳している聖書の言葉は、「平安、安らか」とも訳せます。そして、キリストの誕生直後にこの平和、平安が確かに来たことが記されています。

同じ2章の29節では、老人シメオンが神から与えられた平和を見て、神をほめたたえているからです。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」

ここでの「安らか」とは、「平和」と訳されたのと同じ言葉です。老人シメオンが見た平和、平安とは、戦争のない平和ではなく、みどり子イエスのことでした。
戦争が無くて平和な国と言えば、日本ほど平和な国はないはずです。しかし、わたしたちはまことの平安を得ているのでしょうか。
神の平和は、戦争の有る無しを越えて、キリストにある平安として与えられています。