2007年9月4日(火)主を誇る

お元気ですか。新座志木教会の弓矢健児です。

わたしたちは言葉の上では、「自分なんて、そんな資格はとてもありません」とか、相手から褒められた時も、「いやー、たいしたことではありません」と謙遜します。しかし、実際、自分のしたことを相手が無視したり、評価してくれないと、心中穏やかではありません。もし、本当に自分のしたことは当たり前のことで、たいしたことではないと思っているなら、別に相手に評価されなくても腹は立たないはずです。しかし、現実はそうではありません。やはり、心の中でわたしたちは自分を誇っているのです。

自分はこれだけ一生懸命やったのだから、評価されるべきだ、当然認められるべきだ。わたしたちは一生懸命やればやるほど、そういう気持ちになるのだと思います。

けれども、そうした気持ちが強くなって行くと、わたしたちは自分と他人を比較して、優越感を持ったり、自分よりできない人を見下したりしてしまうことがあります。わたしたちは知らないうちに人間に優劣をつけてしまうことがあるのです。

しかし、そもそも、わたしたちにそうした力や賜物を与えてくださっているのは誰でしょうか。神様です。ですから本来、わたしたちは誰も自分を誇ることはできません。パウロが2コリント10章17節で「誇る者は主を誇れ」と教えているように、わたしたちは自分ではなく、主なる神様をどんな時も誇ることが大切なのです。