2007年10月16日(火)生まれたのは何のため

ご機嫌いかがですか。勝田台教会の安田恵嗣です。
松木 信さんが書かれた『生まれたのは何のために』という本は、実に重い内容をもっています。松木さんは、17歳の時にハンセン病を告知され、以後50数年にわたって、東京の全生園で生活されています。

序文には、ハンセン病であると告げられた時のことが記されています。その当時、いわゆる「らい病」を宣告された者は、終生隔離されるか死ぬ以外に道はない、自分は死を選ぼうとした、しかし、川に身を投げようとした時、「俺は何のために生まれたのだ」という疑問が起こり、「この世に生を受けたのは、それなりの理由があるに違いない。死ぬのはいつでも死ねる。疑問を解いてからでも遅くない」。そのように考え、全生園に入所します。
この方は読書家で、その後、文学書や哲学書を読みあさりますが、疑問は解けない、解けない限り死ぬこともできない、そのような長い日々を過ごすのです。
冒頭にこのように書いています。「しかし、最近になって『俺は何のために生まれたのだ』という疑問の中に答えが隠されていることを知った。神は、私がまだ神を知らなかった時、この疑問を与え、私を死から守っていてくださったのである。本書はその記録である」。

旧約聖書のイザヤ書43章7節に、次のような御言葉があります。「彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し/形づくり、完成した者」(7節)と神さまとの関係において自分の存在を見出すことができるようにされています。私達は生まれたのは何のためにと問いたくなりますが、その答えは神様の側にあったのです。