2007年10月17日(水)信じることの確かさ

ご機嫌いかがですか。勝田台教会の安田恵嗣です。

一人の子供が生まれたときから汚れた霊に取りつかれていました。父親は、何とか助けて欲しいと思って、主イエスのところに連れてきました。この物語の中で一番困っているのは父親です。父親は、自分の目の前で息子の苦悩の姿を見て、いてもたってもいられなかったことでしょう。「おできになるなら、わたしどもを憐れんで助けてください」と言っています。

主イエスは、この父親の言葉を正しておられます。「『できれば』と言うのか。信じる者には何でもできる」。
父親が「おできになる」と言ったことは、よく分かります。これまでありとあらゆる医者を訪ね、治療を試み、祈祷師を訪ねて、まじないをしてもらったことでしょう。そして、今までどこにいっても絶望しか味わうことがありませんでした。ところかまわず地面に引き倒し、口から泡を出し、体をこわばらせている息子を見てきました。苦しんでいる息子を見て、神さま、助けてくださいと祈り続けてきたことでしょう。しかし、その祈りは聞かれたことがありませんでした。
主イエスは、「信じる者には何でもできる」という信仰の中に、信頼の中に、私たち皆を招き入れてくださるのではないでしょうか。「そのこの父親はすぐに叫んだ。『信じます。信仰のないわたしをお助けください』」。信じるということは、自分の外に出てしまうことです。信じることの確かさを、主イエス・キリストの中にだけ置くことです。

自分の外に出て、「信じます。主イエスだけを信じます。信仰のないわたしを助けてください」という祈りを、自分のものとしたいと思います。