2007年10月18日(木)偉さを誇る愚かさ

ご機嫌いかがですか。勝田台教会の安田恵嗣です。

主イエスがご自身の受難と復活について語っていたときに、その意味が弟子たちには分かりませんでした。分からなければ質問すればよかったのですが、「怖くて尋ねられなかった」そうです。
主イエスが一所懸命にご自身の受難について語っておられたのを、まるで聞き流していたのに、弟子たちだけになると、ひそひそと議論しました。弟子たちの中で誰がいちばん偉いのかについて「議論していた」のです。「議論していた」という言葉は、常日頃、考えていたことがあるとき口から出るときに使う言葉です。人の偉さは、正しく計ることがとても難しいものです。偉さをめぐって私たちの心が病んでしまうのです。主イエスがひたすら心を傾けておられることと全く違う方向で、弟子たちだけが寄り集まりますと、誰がいちばん偉いのかということに心が向いてしまうのです。弟子たちにとっては死活問題でしたが、よくないことには気がついていました。
主イエスが弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」と尋ねられると、弟子たちは「黙っていた」というのです。そして、言われました。

「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」。

誰も先頭に立ってはいけないと言われたわけではありません。先頭に立ちたいならば、先頭に立つための秘訣を教えてあげようと言われたのです。

主イエスはここで、「いちばん先になりたい者」と言われました。この言葉は言い換えますと、「自分の値打ちを誰よりも真っ先にいちばんよく知っている人」ということになります。私たちにとりまして大切なことは、わたしの罪に苦しむことではありません。罪から解き放たれて主のもとに帰ることであります。