2007年10月29日(月)教師になるな

いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
新約聖書ヤコブの手紙3:1に「わたしの兄弟たち、あなたがのうち多くの人が教師になってはなりません」と記されています。
教会の教師、すなわち牧師や伝道者に多くの人がなってはいけない、というのであればなんだか変な気がします。

ヤコブは、ここで正式な教師のことを言っているのではありません。わたしたちは、すぐに人を教え、評価し、ことの善し悪しをあげつらいたくなるものです。上の人に立ちたがります。そういう態度を戒めるため、少し皮肉を込めて「多くの人が教師になってはなりません」と言っているのです。
聴取者の方々はいかがでしょうか。教師になりたがってはいないでしょうか。
3:8はこうも書いています。「舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています」。これは口ばかり達者な人の害悪を厳しく指摘したものです。このような教師が大勢いたら、教会も社会も、いや家庭であっても争いが絶えることはないでしょう。しかも、「舌を制御できる人は一人もいません」と書いています。人には言葉の害悪を止めることができないのでしょうか。

ヤコブは、読者を絶望させたいのではありません。舌の罪を正したいのです。その方法は、聖書のみ言葉を受け入れて、神を知り、そのくちびるで神を心からほめたたえることです。それにより、心とくちびるが清められ、言葉と行いが命に満ちたものに変えられていきます。