2007年11月12日(月)ひとりのみどりごが

いかがお過ごしですか。秩父教会の岡本 告です。今週、あさのことばを担当させていただきます。よろしくお願いいたします。

さて、今年の夏、我が家に初めての子供が与えられました。元気な男の子の赤ちゃんで、スクスク育っており感謝です。私は赤ちゃんを親しくお世話するのは自分の子供が初めての経験でした。生まれたばかりの赤ちゃんはまだ目が見えなくて、一日に20時間も寝ています。そうかと思えば、昼夜を問わず2、3時間毎にミルクを欲しがって泣き声をあげます。おしめだって、ぬれていたら気持ち悪くて寝ていられませんから、一日十数回も替えてあげなくてはなりません。赤ちゃんのお世話はとても手間がかかります。赤ちゃんは、自分ではごはんを用意することも、トイレに行くこともできない、両親をはじめとする周囲の人々の愛と保護に全部依存している無力な存在だからです。

私は育児をする中で、全能の神様が人の手で世話されなければ生きていけない赤ん坊となってくださった事実について考えることがあります。救い主の誕生を預言したイザヤ書9章5節にこう書かれております。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。」
クリスマスが段々と近づいてきました。救い主イエス様は、神様の御子であるにもかかわらず、私達を罪から救うために無力な赤ちゃんとして生まれてくださいました。ここに神様のへりくだりの愛が示されているのです。