2008年1月31日(木)あなたの神は小さすぎませんか

お元気にお過ごしですか。いずみ教会の小堀昇です。今日もご一緒に神様を見上げて歩んでまいりましょう。

アメリカの笑い話です。ある街に珍しい釣り人がおりました。彼は大きな魚は捨て、小さな魚だけをバケツに入れていたのです。しかも、持っていたメジャーでいちいち魚の大きさを測っていました。そばを通りかかった人が聞きました。「あなたは珍しい人だねえ。あんな大きな魚を捨てて、なぜ小さな魚だけ、バケツに入れているのですか?」 その釣り人は答えました。「いやあ、実は、我が家のフライパンの大きさに合わせて、魚を釣っているんですよ。」このように言ったそうです。

クリスチャンも、大抵自分自身のフライパンを決めているのです。そして、そのフライパンの中に神を押し込もうとするのです。私には経歴がないから。私は病弱だから。私には賜物がないから。どう見ても、私はこの程度の人間だから。いくら神様でも、私の人生をお変えになることはできないと、みんなフライパンの大きさを決めてかかっているのです。
ペトロが用いられたのは、マタイが用いられたのは、ヨハネが用いられたのは、ただ主に従順にお従いしたからでありました。二匹の魚と五つのパンがキリストの御手に握られたときに、驚くばかりの奇跡が起こったのです。

イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。(マタイ:18-19)

このように聖書は言っています。私達の人生も、私達の器が人生を決めてしまうのではないのです。主の御手に握られるならば、豊かな祝福をあなたも体験することができます。神様を見上げて今週も歩んでまいりましょう。それではまた御機嫌よう。