2008年2月8日(金)主の御心であれば

お元気ですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
新約聖書ヤコブの手紙にこんな言葉があります。

「よく聞きなさい。『今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう』と言う人たち、あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません」(4:13-14)

この言葉を聞いて、そんなことは分かりきっている、と言うかもしれません。誰だって明日のことなど予想できるはずもないからです。確かにそのとおりです。しかし、将来のことなど誰にもわからないといっても、それでも明日のことや来年の計画を立てるのです。
誰もがきょうと同じ明日がやってくることを漠然と期待しているものです。それを繰り返しているうちに、やがては希望的な観測が確実な明日への保証と取り違えられてしまうのです。そういう希望的な観測の上にたって生きようとする人たちに向かってヤコブは「あなたがたは、実際は、誇り高ぶっています」と警告しています。
では、どういう態度で日々を過ごすべきなのでしょうか、ヤコブはこう述べます。

きょうのみ言葉・・・「むしろ、あなたがたは、『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう』と言うべきです。」
ヤコブの手紙4章15節