2008年2月19日(火)何をしてほしいのか?

ご機嫌いかがですか。勝田台教会の安田恵嗣です。

マルコによる福音書にバルティマイという目が不自由な、そして物乞いをしながら生きている男が登場します。彼は主イエスの来られるのを待ち望んでいました。なぜなら、歩けない者が歩けるようになる、目が見えない者が見えるようになる、その主イエスのすばらしい奇跡を自分も是非味わいたいと思っていました。そして遂に、イエスが近づいてこられる。彼は叫びます。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」。人々は大声で叱ります。しかし、彼はますます叫び続けます。突然周囲が静かになります。人々が走り寄って来て、あの方がお前を呼んでいると言います。人々に助けられながら主イエスの前に連れて行かれ、座り込んでしまいます。「何をしてほしいのか」と主イエスが尋ねられます。もしかするとすぐには答えることができなかったかもしれません。自分はこれまで何を望んできたのだろうか。だからと言って、この方に何と言えばいいのだろうか。しかし気づくと両手が伸びて、思わず言います。「先生、目が見えるようになりたいのです」。主イエスは言われます。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」。見たいと思っていたイエスさまを見ます。

ここに「見える」と訳されている言葉は「まなざしを受ける」という意味です。つまり、「何をしてほしいのか」。「主よ、見ることのできるまなざしがほしいのです」。自分の罪をしっかりと見ることのできるまなざしを、そして主を仰ぎ見ることのできる目を与えてください。あなたもイエスに愛されている自分を発見してみませんか。