2008年3月28日(金)イエスと一緒に

いかがお過ごしですか。秩父教会の岡本 告です。
キリストの使徒パウロは、テサロニケの教会にこう書き送りました。

「イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。」(テサロニケの信徒への手紙 一 4章13-14節)

使徒パウロは救い主イエス様を信じる人が持つ「希望」について、ここで述べております。その希望は、パウロが信仰者の死を「眠り」と表現していることにあります。パウロがこのように表現する理由は、信仰者にとっての死の意味が決定的に変わったということです。

では、この決定的な変化はどのようにしてもたらされたのでしょうか?これは使徒パウロがイエス様の場合には「死」という言葉をそのまま使っていることにあるのです。何故パウロは、イエス様の場合にはそのまま「死」と表現したのでしょうか?それはイエス様が、まさに死を死んでくださったからです。イエス様は罪のないお方ですから、罪の刑罰としての死を死ぬ必要がありませんでした。しかしイエス様は私達の身代わりに十字架にかかって、私たちが受けるべきであった罪の刑罰としての死を死んで下さったのです。それで、もはや信仰者は罪の刑罰としての死を死ぬ必要がなくなったのです。信仰者にとっての死は、罪の刑罰ではなく、イエス様が復活されたように復活する日を待つ眠りとなったのです。救い主イエス様の復活によって、墓は復活の日を喜び待つ休息の場所となったのです。