2008年4月3日(木)待っているのは?

ごきげんいかがですか。網島教会の川杉安美です。
イエスさまのことを信じて、洗礼を受けた人がこんな事を言っていました。
イエス様が自分に働きかけてくださる、声をかけてくださる、そういうことを待っていた。けれども実は、待っていたのはイエス様の方だったと。イエス様が、聖書の言葉や、教会の人たちの勧めや、お祈りをしたときや、色々なことを通して語りかけてくださっていた。それに答えるのをイエス様が待っていてくださった。それに気がついたので、イエス様を信じて洗礼を受けることにしましたと、そう言いました。

確かに聖書にも、イエス様の言葉として書いてあります。
「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」
新約聖書、ヨハネの黙示録3章20節です。

イエス様の方は、聖書の言葉を通して、あるいは教会の人々の言葉を通して、色々な出来事を通して、語りかけてくださっている、あなたの心の戸をたたいておられる、そういうことでしょう。そしてもし心を開いて素直にイエス様を迎え入れる、イエス様を信じる、そのようにしていくならば、イエスさまとともにお交わりができる、そうゆうことでしょう。イエス様を信じるというのは、そのように自分に語りかけてくださっているイエス様に、気がつくということでもあるのでしょう。
イエス様が働きかけてくださる、語りかけてくださる、それをあなたは待っているのでしょうか。それとも、すでに働きかけてくださっているイエス様が、あなたが心を開くのを待っているのでしょうか。