2008年4月15日(火)賜物

いかがお過ごしでしょうか。江古田教会の風間義信です。
聖書の中に何度となく「賜物」と言う言葉が出てきます。普段あまり聞きなれないことですが、聖書が書かれたギリシャ語では「カリスマ」と言います。最近ではカリスマ美容師、カリスマ教師などと呼ばれる人がいますので、お聞きになられたことがあるかもしれません。
これはその分野の中で特別な技能を持っていて、他の者とは数段違うレベルにある人のことを指すようですが、そもそもの意味はそうではありません。この賜物・カリスマにはカリスという似た言葉があり、これは「恵み」と言われているものです。

恵みとは上から一方的に与えられるもの、つまり、神が私たちを愛して、特別にくださったものです。ですから賜物とは自分の力で獲得するのではなく、与えられるものです。こちら側には何の誇りもないのに、いただいた、まさに賜るものです。

そこで新約聖書のローマの信徒への手紙12:6では
「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています」
と言われています。

これが聖書の約束です。ですから、私には何にもないなどとため息をつく必要はありません。水は高いところから低いところへと流れるように、私たちが身を低くし、へりくだるところに、必ずあなたならではの賜物を見出すことが出来ることでしょう。