2008年4月17日(木)律法

いかがお過ごしでしょうか。江古田教会の風間義信です。
この世の中にはたくさんの規則、決まりがあります。国の憲法や都道府県の条例、あるいは職場の決まり事や地域の慣習など、知らないと大変なことになったり、迷惑をかけたりすることになってしまいます。

聖書の中にも色々な決まりが出てきます。もしこれを全部守らなければ呪われてしまうと言うことでしたら、すべての人がそうなってしまうことでしょう。でも、聖書の教えは福音、良い知らせといわれています。いったいどこが良い知らせなのでしょうか。

新約聖書のローマの信徒への手紙3:28では次のように言われています。
「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。」

つまり、聖書の規則、律法は、これを全部守れたから天国に行けるといった条件ではありません。むしろ、出来ない自分を素直に認め、これほど守れない者でも愛されていることを知らされるためにあります。なぜなら、出来ない私のために、イエス・キリストが代わりにすべてしてくださって、もう心配いらないと支えてくださっています。
このことが事実でありこの自分もその中に入れられていることを信じることが鍵です。そして信じたものがその信仰の道を進んでいく道しるべとして、律法は私たちを励まし、強めてくれているのです。