2008年7月8日(火)命の主イエス様

いかがお過ごしでしょうか。川越教会の木村香です。
わたしは月に一度、特別養護老人ホームに聖書のお話しをするために行きます。小さな礼拝をするのですが、礼拝の後でこの所何回か、決まってあるご婦人に、呼び止められるのです。「イエス様が亡くなった時、火葬でなくて良かったですね」とおっしゃいます。初めは何のことか分からなかったのですが、良く聞いてみますと、イエス様の遺体が火葬でお骨になってしまうと、復活できないから、と言われるのです。このご婦人は復活は信じていらっしゃる。しかし、からだがあればこそ復活できる、と。だから、実はご自分のことが心配だったのです。亡くなった後、火葬になるだろう「わたし」は復活できるのだろうか。
そんな心配はいらないのです。聖書にこう書いてあります。

「天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました」。

御子というのはイエス様のことです。何にもない所から天地を造られた方がイエス様であるなら、このお方はわたしたちに復活の体と、永遠の命をを与えて下さるでしょう。何者もそれを止めることはできないのです。
信じる者を救って下さる救い主イエス様は、そういう力に満ちたお方です。

あのご婦人はその日の説教とは関係なしに、イエス様の火葬のことを質問なさいます。わたしだけでなく、毎日の礼拝の担当牧師に同じことを話しておられるのでしょう。わたしも同じことを繰り返して説明します。
「大丈夫ですよ、安心して下さい。もう一歩進んでイエス様を信じましょう」。