2008年8月4日(月)悩むことは大変なこと

ご機嫌いかがですか。勝田台教会の安田恵嗣です。

私たち人間には悩みはつきものです。悩むことなしに生きている人などいないのではないでしょうか。ですから、誰だって、悩む、悩めると考えがちです。しかし、案外、そうではないのです。実は、私たちは、悩むべき、考えるべきもっとも大切な事柄に対して、それをじっと考え、深く悩み、目をこらして見つめることができていないのではないでしょうか。
ある牧師が、このようなことを書いております。

「どんな力でも使わなければ衰えます。悩むのも同じです。誰だって過ちを犯したら悩みますから、悩むのに力はいらないと思うかもしれませんが、そうではないのです。大変な力がいります。真正面から過ちを見つめ、そこから新しい自分が生まれてくるように悩み抜くには、大きな力がいるのです。しかし、安楽な生き方をひたすら求め続けてきた私たちは、いつのまにか悩む力を失ったようです。冗談の中に誤魔化し、感傷的に流し、悩みを悩みとして見つめられなくなりました。わたしたち現代人は悩みに対して劣弱であるようです。」

わたしはこの言葉を読んだとき、本当にその通りだと思いました。
伝道者パウロは、自分のことをこのように言っています。ローマの信徒への手紙7章24節の御言葉です。

「わたしは何と惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」。

自分の姿にこんなにも向き合って悩んでいる人をわたしは知りません。自分の罪深さ、惨めさを知って、パウロは、そこで絶望しません。このような私を受け止めてくださるイエス・キリストを知っているからこそ、悩むことができたのです。