2008年8月8日(金)むなしい生活からの救い

ご機嫌いかがですか。勝田台教会の安田恵嗣です。
ペトロの手紙一 1章18節から19節にこのような御言葉があります。

「知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、傷や汚れのない子羊のようなキリストの尊い血によるのです。」

私たちは、生きていますと、いろいろな罪の現実を経験します。それが私たち人間の現実としか言いようのないものです。私たちの空しさを示すものです。憎しみ、争いが続く限りどこに望みがあるかと思うほどの現実です。この状況が続く限り、この世の中に本当の幸いが来るのかと思うような世の中です。
しかし、私たちが神から与えられた信仰の事実として告白するのは、私たちがその空しい生活から贖い出されたということです。金や銀とかによっては空しさに克つことはできません。私たちは空しさに克つために、たくさんの財産をためる気になっているかもしれませんけれども、それでは本当の空しさに克つ道は開けないのであります。

私たちの罪が作り出してしまっている空しさに克つ道は、イエス・キリストが流された血であります。実に尊い金や銀で量ることのできない血であります。私たちの空しさの罪は神様の前においては実に重いものであります。公平に裁く神の裁きに耐えられないほどに重いのです。しかし、その私たちの罪を覆うためにキリストの血が流されたのです。