2008年8月28日(木)罪が分かると

お元気にお過ごしですか。いずみ教会の小堀です。今日もご一緒に神様を見上げて歩んでまいりましょう。

「ちいろば牧師」として有名な故榎本保郎先生は、かつて、神学生の身でありながらも、本当の意味で十字架が分からなかったそうです。
ある時、見透かされたかのように、ある牧師から「君は、まだ罪が分かっていない。罪意識のない者は、福音を理解することができない」こう言われたそうです。その言葉に腹を立てながらも、小さい頃からの思いつく限りの罪を具体的に書き出してみると、出てくるは、出てくるは。分厚くなった自分の罪のリストの便箋を眺めながら、私のこの罪のために、主が十字架について下さったのだ、その実感が湧いてきて、感激の涙が目から溢れたそうです。「私はこの時ほど、イエスの十字架を身近に感じたことはなかった」、その時の感激を先生は記しておられます。

聖書はこう語ります
「律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました」(ローマ5:20)。

自分がいかに罪深いかが分かれば、そのために十字架で苦しまれたキリストの救いの恵みが自分のものとなるのです。
あなたの罪のために、イエス様は十字架で苦しまれました。そして、十字架で命をお捨てになりました。そして、信じるあなたのために、永遠の命への道を開いて下さったのです。あなたも、イエス様を信じるならば、どんな罪も許されるのです。このお方を見上げてこれからも歩んでいこうではありませんか。
それではまた、御機嫌よう。