2008年9月24日(水)霊の乳を慕い求める

ご機嫌いかがですか。勝田台教会の安田恵嗣です。
ペトロの手紙一 2章2節に次のような御言葉が書き記されています。

「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました」。

私たちにとってふさわしい姿は、「生まれたばかりの乳飲み子」のような心です。生まれたばかりの赤ちゃんは、自然で無邪気で純真で、悪意や偽りや偽善のようなものを認めることはできません。ただそこには母親にすがる本能と、乳を求める欲求とがあるだけです。これは言い換えるならば、神さまへの絶対的な信頼と神の言葉への激しい飢え渇きです。これは決して信じた初めの頃の姿を語っているのではありません。「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい」とは、初心の信者だけではなく、すべての者に言われています。若い人も高齢の人も、その魂が生まれたての赤ん坊のようにみずみずしく新鮮であるべきことをすすめています。
イエスさまも弟子たちに向かって、「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(マルコによる福音書10章15節)と言われました。他の宗教では、老成することを理想としています。しかし、キリスト教は壮年になっても老年になっても、幼子の心を失わず、より完全なものを求めて絶えずすすんでいかなければならないのです。

神によって新しく生まれた者は、神の言葉という霊の乳に渇きを覚え、それを慕い求め続けて行くのです。