2008年9月26日(金)謙遜を身に着ける

ご機嫌いかがですか。勝田台教会の安田恵嗣です。
ペトロの手紙一 5章5節に次のような御言葉が記されています。

「皆互いに謙遜を身に着けなさい」。

この「身に着けなさい」という言葉は、ここで用いられているギリシア語には「結ぶ」あるいは「結び目」という言葉が含まれています。何かを結んで体に着けるのです。例えば、エプロンです。後で結ぶ。あるいは首の後ろで結ぶ。そのように謙遜という上着、着物をしっかりと身に着けるようにと勧めるのです。宗教改革者カルヴァンは、「従属ほど人間の天性に反するものは他にない。昔各人が、めいめいの内に王の心を持っていると言われていたが、これは全く真実である」と言っています。言うなれば、人間は服従の勧めに対して、反撥してしまうのです。人間の本性が、そのようになってしまっていると言うのです。みんなが王様になりたがる。
だから、カルヴァンはさらに続けて、「衣が自分の体全体を覆ってしまうように、あらゆる方面から謙遜さを身につけよと、この聖書は教える」と言うのです。まさにこれは、従うことができる謙遜さが求められているのです。それはもちろん、単なる遠慮深さということではありません。遠慮深い人は、しばしば内心に秘めているプライドは高く、それを傷つけられまいとしているだけのことです。ここで言います謙遜は、何よりも他人の語る言葉をきちんと聞いてあげることができるということです。

神さまは私たち以上に私たちの悩みをご承知であり、だれよりもそれについて心を痛めておられます。神ご自身が私たちのことを思い、私たちのために心を痛めておられるとはまさに福音であり、慰めに満ちた言葉であります。