2008年10月10日(金)神が共におられる

いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
マタイ福音書第2章にあるキリストの誕生物語を読むと、新しい王の誕生を祝うため、東方の学者たちが王ヘロデのところへやってきました。
ヘロデ王は新しい王の誕生を恐れ、学者たちを利用して幼子イエスを殺そうとします。しかし、神は学者たちに夢でヘロデのところに戻らないように告げて、ヘロデの策略をくじきます。
またヨセフにも「子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている」と告げて、幼子イエスを救い出しました。

幼子を救う神の出来事から大切なことがわかります。
この世は、ヘロデ王に象徴されているように、策略と不正が支配することがあるということ。しかし、神の救いのご計画は、世の悪と不正な支配によってくじかれることは決してないということがわかります。神の力は人よりも強く、見た目には人が支配しているようであっても、隅々まで神の支配が行き渡っているからです。
また、イエス・キリストには神が共におられることが分かります。キリストの貧しい生涯、十字架の死と復活の一切は、神がイエスとともにおられて起った救いの出来事です。ヘロデの殺意からイエスを守った神は、イエスを十字架の死に引き渡すことで、わたしたちを死の支配から救ってくださいます。

神はキリストと共におられます。わたしたちがキリストと共に生きるのであれば、神は永遠にわたしたちと共にいてくださいます。