2008年10月13日(月)祈りを聴かれる神

いかがお過ごしですか。新所沢教会の長石です。
祈りは神に聴かれることをご存知でしょうか。私たちがイエス・キリストの名によって祈るなら、その祈りはキリストの祈りとなって、神に聴かれるのです。ちょうど封筒に宛名を「神様」と書き、差出人を「イエス・キリスト」と明記するようなものです。私たちが祈るどんな祈りも、差出人をイエス・キリストと記すことによって、確実に神に届くとはなんという恵みでしょうか。

ただし神が祈りにどう答えてくださるかは内容次第です。キリストもゲツセマネという場所でこう祈られました。
「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
この祈りは人類の罪への刑罰を身代わりに負い、十字架にかかられる前の夜に祈られた祈りです。

そしてその祈りは最終的に、次のような内容に変えられたのです。
「父よ、私が飲まない限りこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」
このように祈りは、神に聴き届けられるだけでなく、祈り手を動かして神の御心に従わせます。イエス・キリストの名によって祈る者自身が、その名に相応しい者へと徐々に変えられるのです。
祈りは、神の御心に従って最善のものを受けるための手段であり、あなたをイエス・キリストと一つにする神の恵みだからです。