2008年11月7日(金)祈られている光栄

いかがお過ごしでしょうか。江古田教会の風間義信です。
イエス・キリストの弟子と聞きますと、大層立派な人たちに思えますが、そうではありませんでした。度々イエス様に叱られ、信仰の薄さを嘆かれました。特にイエス様が人々にののしられ、殺されるということを聞かされますと、そのようなことがあってはならないと、いさめてしまいました。
こうしたことは、イエス様の十字架へ向かう道を邪魔するものでしたので、「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。」(マタイ16章23節)とまで言われてしまったのです。ところが、このような弟子たちのことを、イエス様はあきらめことなく、祈って支えておられたのです。

これこそ、今も、イエス様が私たちのためにしてくださっていることです。新約聖書ヨハネの手紙一2章1節、2節は次のように言っています。

「たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。」

聖書を読むたびに、またこの番組に触れるたびに、このイエス様の存在と働きを覚えましょう。なんとも光栄なことに、私たちはイエス様に祈られるほど愛され、価値ある者なのです。