2008年11月24日(月)メロディ

いかがお過ごしですか。新浦安教会の芦田高之です。
私の友人にメロディという名前の方がいます。その方の名前を呼ぶたびに、「いい名前だなあ」と思いました。
私たちの心の中に、毎日いろいろなメロディが湧きあがってきます。楽しいメロディ、悲しいメロディ、嬉しいメロディ、感動のメロディ、暗い落胆のメロディ…というように色とりどりの、さまざまな味わいのメロディが湧きあがってきます。

どうして私たち人間は、メロディというものが心に湧きあがってくるのでしょう?もしかしたら、動物や植物にもメロディを感じたり喜んだりする、何らかの感覚があるかもしれません。それならなおさらのことですが、どうしてこの世界には、メロディというものがあって、喜びや、希望や、悲しみや、慰めを、言葉や数字や絵や映像以上に表現することができるのでしょうか?

聖書では、それは人間が、神に似た存在として造られているからだ、といいます。天地万物を造られ、今もすべてを治めておられる、唯一の生けるまことの神。この神様に似た者として、人間は造られたと、聖書は私たちに教えています。
そしてこの神様が実はメロディに満ち満ちておられます。つまらない退屈な御存在ではなくて、御自身のうちにメロディがいつも充満しておられる。それが、天地を造られた神様です。この神様に似た者として造られた私たちですから、私たちもまたメロディを心のうちに持てるのです。