2008年12月15日(月)わたしはあなたの名を呼ぶ

いかがお過ごしですか。三川栄二です。
わたしは大学生のとき、小学校の教育実習に行きました。その最初の日、わたしの世話をしてくださった先生から、こう言われました。明日までにクラス全員の子供の名前を覚えてきなさいと。そこで必死で覚えて、子供たちの名前を呼んであげると、とても嬉しそうで、生き生きとした反応をしてくれました。
自分が名前で呼ばれるということは嬉しいことです。それは、その人が自分に関心をもち、自分を大切に思ってくれていることを表すからです。

聖書の世界では、名前を呼ばれるとは、相手が自分をどのような人であるか知ることを意味します。自分がどんなことで悩んでいるのか、どんなことを悲しみ、心配しているのか、そのことが知られているということです。神さまはわたしたちに、「わたしはあなたの名を呼ぶ」と言われましたが、それは神さまが、ただわたしの名前が太郎とか花子といったものだと知っているだけではなくて、太郎や花子として呼ばれるわたしが、今どんなことに苦しみ、悩み、恐れ、心配し、あるいは喜び、願い、求めているのかを、よく知っておられるということを意味するのです。

今日も神様はわたしたちに、「わたしはあなたの名を呼ぶ」と言われます。それは今日のわたしの悩みも苦しみも悲しみも、そして心配も、すべてちゃんと知っておられるということなのです。その神さまが約束してくださいます。「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」と。