2008年12月30日(火)神のなさることは美しい

ご機嫌いかがですか。勝田台教会の安田恵嗣です。
「時」に関して、聖書の中に、安らぎに満ちた言葉があります。旧約聖書のコヘレトの言葉3章1節からです。

何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生れる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時

そして、11節は、新共同訳聖書では、「神はすべてを時宜にかなうように造り」となっていますが、わたしの好きな訳では、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(新改訳聖書)となっています。「何事にも時があり」と始まる一文は、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」と閉じられています。
日々の時の流れも、人生に訪れます好機も、すべて神がその権威の中で定めておられるというのです。神を信じて生きるとき、時の流れの中で、神は私たちを成長させ、訓練してくださいます。そして、神の摂理と導きによりまして、私たちがつかまえることのできない好機をちゃんとわたしの手の中に入れて下さいます。

さて、聖書によりますならば、私たちが大切にしなければならない好機は、ただ一つです。「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(2コリント 6:2)。運は逃げていくかもしれません。しかし、神の恵みはそうではありません。求める人には、神の方から来てくださいます。救いの好機は、あなたのそばに今、あるのです。