2009年1月30日(金)孤独はない

いかがお過ごしですか。新所沢教会の長石です。
先日家族と共に近所の公園を散歩していたら、見知らぬご老人に声をかけられました。その内容から、話し相手を求めている独り身の方だと分りました。
公園にはたくさんの人が集まりますが、孤独はそんな中にもあります。声をかけても、聞き手が誠実に話を受け止めなければ会話は成り立ちません。家族で来た私たちには話し相手がいても、そのご老人には人が集まる公園であっても、依然、孤独はあったのです。時間があればもっと会話らしい話ができたのにと、悔やまれます。

ところで聖書は、そんな私たちに語りかける神の言葉であることをご存知でしょうか。私たちが孤独の中にあっても、聖書を読む時、生ける神が私たちの応答を求めて、現実に語りかけられます。信仰をもって読むなら、会話の場はすでに与えられているのです。その意味で、人間には本当の意味での孤独というものはないのです。

「あなたが呼べば主は答え、あなたが叫べば、『わたしはここにいる』と言われる。」イザヤ書58章9節の言葉です。

もちろん聖書は歴史的な文脈を無視して勝手に自分への語りかけとして読むことは避けねばなりません。しかし信仰をもって読むことがなければ、そのメッセージを受け止めることもできません。実は、神はいつもあなたの側におられる方なのです。