2009年2月17日(火)イエス様のたとえ話

いかがお過ごしでしょうか。江古田教会の風間義信です。
新約聖書の中には、イエス・キリストが語られたたくさんのたとえ話というものが記されています。その中の多くのものはお金に関係しているものです。実際、私たちの毎日の生活においてもお金のことは大きな課題です。

ある時、イエス・キリストは一人の女性が必死になって無くしてしまった銀貨を探す話をされました。それは、彼女が持っていた全財産である銀貨10枚のうちの1枚を捜すもので、生活の全てをかけた姿が伝わってくるものです。確かに10分の1を失ってしまったわけですから一所懸命になるのは当然です。でもこれは後で何とかして稼いで補えるものではなく、代わりの利かないもの、それでなければならないものだったのです。

実はその1枚こそ、神の元を離れてしまった人の姿です。いや、私は転がり落ちた覚えはないと言われるかもしれません。しかし、自覚がなくても、人は造り主である神に似せて造られた、他に変えることの出来ない作品です。そしてその自覚がないことこそ、転がり落ちてしまっている状態なのです。
でも銀貨には足がなく、自分で元に帰れないように、私たちもまた自らの力で帰ることは出来ません。だからこそ、神の側から近づいてきてくださり、全てをかけて捜してくださっているのです。それがこの話をされたイエス・キリストのお姿であり、あなたのことをもその一人として捜し続けておられるのです。