2009年2月19日(木)十字架と共に

いかがお過ごしでしょうか。江古田教会の風間義信です。
先日、十字架のネックレスをつけて歩く何人かの方を見かけました。どうやら単なるファッションの一つで、深い意味はなかったようです。ただ、この十字架はそもそも人間が考え出した最も恐ろしい死刑の道具だったのです。

今から約二千年前、この十字架にかけられてイエス・キリストが処刑されました。ですからこの十字架は恐ろしいもので、とてもファッションとして身につけられるものではありません。でも、キリスト教会は死刑の道具である十字架を堂々と掲げています。それはなぜでしょうか。イエス・キリストの死が神から離れてしまった者の罪を赦す、救いの出来事だからです。
そこで教会の十字架は空っぽ、つまりそこにイエス・キリストの体はありません。なぜなら、十字架に付けられた後、三日目に復活されたからです。十字架はもはや呪いのしるしではなく、イエス・キリストが死に勝利されたあかしなのです。

このお方がいつも私たちと共におられると約束してくださっています。このことはアクセサリーとして身に着けるから実感できるのではありません。イエス・キリストの語られた言葉を信じ、従うところに、その約束が確かにあなたのものとなるのです。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」マタイによる福音書28章20節。