2009年4月7日(火)十字架の祈り

ご機嫌いかがですか。勝田台教会の安田恵嗣です。
旧約聖書の詩編22篇1節から9節までの御言葉を抜粋して読んでみます。
「わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず 呻きも言葉も聞いてくださらないのか。わたしの神よ 昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙ることをお許しにならない。…わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い 唇を突き出し、頭を振る。『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら 助けてくださるだろう』」。

この詩編22篇の冒頭の言葉は、イエスさまが十字架において叫ばれた言葉です。これを叫ばれたのは、もしかするといつも愛唱しておられた詩編の言葉であったからでしょう。詩編の言葉が預言しているとおりの、主なる神に頼んで救ってもらえばいいではないかとの嘲笑を浴びつつ、沈黙のうちに最後のときを待っておられときにも、この詩編を思い起こし、祈っておられました。それどころか、地上の歩みを続けられたときに、自分自身が神を捨て、神に捨てられているのに気づかない人々、しかも神の言葉を聴く耳を持たない人々の姿を見つめながら、罪人の一人として呻くように祈られたイエスさま。なぜわたしをお見捨てになるのか!

罪の真相を見ようともしない私たちに代わってイエスさまは、十字架にかかってくださり、神の愛の道を改めて切り開いてくださったのであります。