2009年4月8日(水)無知の罪と主の愛

ご機嫌いかがですか。勝田台教会の安田恵嗣です。
まず聖書の御言葉を読んでみます。「そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです』」。ルカによる福音書23章34節の御言葉です。

この御言葉は、主イエスが十字架上で叫ばれた七つの言葉のうち、最もよく知られているものです。同じ十字架上の主イエスの叫びである「わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか」に比べると語調の違う言葉です。しかし、神に捨てられるという絶望の叫びを私たちに代わって最も深いところで神に向かってあげておられる主が、私たちの赦しのために祈っていてくださるという、この祈りもまた、まことによく主の御心を伝えています。
わたしは、改めて考えさせられます。主を十字架に追いやったことが、どれほど深いわたしの罪であったのかを。もしかすると私たちは、そのことをよく知らないのかもしれません。今でも本当に身にしみて分かっていないのかもしれません。主イエスが、あの十字架の極限の状態の中でも、私たちの罪の赦しを求めていてくださるのであります。

「だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」(使徒言行録2章36節)。