2009年4月10日(金)本当に、この人は神の子!

ご機嫌いかがですか。勝田台教会の安田恵嗣です。
総督ピラトがイエスを尋問して「お前がユダヤ人の王なのか」と問うと、イエスは「それは、あなたが言っていることです」と答えます。イエスは確かに王ですが、この世の権力を思うままに行使する王ではなく、神の救いを実現させるための王です。弟子にさえ見放されたイエスが、なぜ「王」なのか、ピラトも兵士たちも理解することができません。彼らの目に映ったイエスは、強盗に挟まれて十字架につけられている無力で惨めな死刑囚でしかありません。

こうして十字架につけられたイエスを人々が口々にののしり、侮辱します。そこを通りかかった人々は、荒れ野で悪魔がイエスを試みたときと同じように、「神の子なら」と言ってイエスを挑発し「十字架から降りて来い」とからかいます。祭司長たちも、律法学者達や長老たちと共に、十字架から降りることのできないイエスを侮辱して「イスラエルの王」と呼びます。また一緒に十字架につけられた強盗たちも「同じように」イエスをののしります。ユダヤ人たちは、イエスが「神の子」であると信じることができません。彼らにとって、「神の子」とは十字架から降りて自分を救うことのできるもののことであり、十字架はイエスが「神の子」でないという明白な証拠なのです。

イエスをののしる人々とは対照的に、百人隊長や見張りをしていた兵士たちは、イエスの死とこれらの不思議な出来事を見て、「本当に、この人は神の子だった」とイエスへの信仰を言い表します。あなたも十字架を見張る兵士の傍らに立って、目の前に起こる出来事をつぶさに見て、神が十字架を通して語る言葉を聞くようにと招かれています。