2009年4月20日(月)神の愛を知る

いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
クリスチャンは、イエス・キリストによって救われたことを感謝して祈ります。このとき、「私は自分でイエス・キリストが救い主だと分かったのです」とか、「私の立派で良いところがイエス様に認められて救われました」と祈ることはありません。自分でイエスは救い主だと分かったのであれば自分の手柄となります。また、立派なので救われたのであれば、救われて当たり前であり、立派でない者を見下すことになりかねません。

それでは、自分が救われたことについて何と祈るのかというと「何の良いところのない罪人である私を救ってくださり感謝いたします」と祈ります。
では、何の良いところもないのになぜ救われたのでしょうか。その答えは、新約聖書エフェソ書1章4節にあります。「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました」。
神様が天地創造の前に、キリストにおいて救いに選んでくださっていたのですから、不思議なことに、また感謝すべきことに今こうして救われている。これが聖書の答です。救われたことの理由は人の中にはなく、神様の限りない恵みにあります。しかも、天地創造の前にさかのぼるというのですから、人の理解を超えた、神の永遠のみ心です。

クリスチャンは、生まれる前から神に愛されていたのですから神の愛を知っています。その愛の中に生きています。ですから、神と人とに仕えていきたいと願います。どうか、イエス・キリストを救い主と信じ、神の愛に生きる者となってください。