2009年5月29日(金)究極の叫び

いかがお過ごしでしょうか。江古田教会の風間義信です。
新約聖書の福音書の中には、イエス・キリストの心からの叫びがいくつも記されています。それが最も深く語られているのが、十字架にかけられた時のものです。その中でも最も激しい叫びと言われているものが、

「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」(マルコ15:34)

というものです。
神に見捨てられる、本来ならば、これは罪を犯し、離れてしまった人間に対してなされるものです。けれども、これはたちまち私たちが死を迎えなければならないことを意味します。その通り、死は罪の結果です。しかし、イエス様の十字架の死は、見捨てられるべき私たちの身代わりとなって行われたものです。そしてこの神に見捨てられることがどれほど苦しく、恐ろしいものであるか、それを私たちに代わって受けてくださったのが、イエス様の十字架です。そして御自分は捨てられることによって、あなたは生きなさいと、私たちに罪赦された命を与え、生かしてくださっているのです。

いつか私たちも皆、この地上での生涯を終えます。でもそれは罪に対する刑罰ではありません。イエス様によって救われた者として、栄光の御国へと旅立つ時であり、もはや恐れも悲しみもない命を生きる者へとされていく時となるのです。