2009年6月29日(月)私は命のパンである

お元気ですか。横浜中央教会の立石です。今週も聖書から、イエス様が語られたお言葉を聞きましょう。

「私は命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない」。

これはヨハネ福音書の6章48節にある、イエス様のお言葉です。
イエス様を毎日、普通に食べるパンのように食べる、ずいぶん思い切ったことを言われたものですね。イエス様を毎日毎日食べる。これはどういう意味なのでしょうか。
ところでお弁当を食べる時、二種類の人がいますね。一人は、自分の好きなおかずを真っ先に食べる人、もう一人は、好きなおかずを最後まで取っておいて、大事そうに、よくよく噛みしめながら食べる人。こういう人は、見ている私たちまでほほ笑ましくなりますね。お弁当を喜んで食べる楽しさが伝わってくるからです。イエス様を食べるということは、毎日イエス様と会話し、いつもイエス様に喜ばれることは何だろうかと考えているということです。つまり本当にイエスを愛するということです。

この言葉を語られた時、イエス様はきっと小さいころから慣れ親しんでこられたあの旧約聖書の言葉を思い出しておられたのでしょう。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」(申命記8:3)。神様の言葉が形となって現われたイエス、聖書の言葉、これを今日も明日もよく噛みしめて味わいましょう。