2009年7月22日(水)養ってくださる神

ご機嫌いかがですか。安田恵嗣です。
主イエスはマタイによる福音書の5章から7章にかけて「山上の説教」と呼ばれる教えを語っておられます。その中に、「だれも、二人の主人に仕えることはできない。…神と富とに仕えることはできない」とおっしゃって、だれもが「思い悩むな」と説かれます。思い悩むことのない人生ならば、どれほどよいだろうと思いながら、私たちはさまざまなことに思い悩んでしまいます。

どうして主イエスは「思い悩むな」とおっしゃるのでしょうか。その根拠として「空の鳥」と「野の花」を挙げます。「それら自身は働くことがないのに生存できるのは、天の父が養い、装ってくださる」からだと言われます。神から見れば空の鳥や野の花以上に貴重なのは私たち人間ですから、神への信頼に生きるべきなのです。
ですから、私たちが思い悩むことがなくなるとすれば、それは養ってくださる神であって、鍛錬や修行の成果ではありません。天の父は私たちの必要を「ご存知である」と知っていますから、「何よりもまず、神の国と神の義を求める」ことができます。

そのときには、「富」に仕えずに、「神」に仕えることになります。私たちは自立することを価値あることとみなしますが、冷静に考えますと、実は何かに仕えて生きているのです。それならば、無意識に仕えている主人は何でしょうか。主イエスは、神に仕える道を選ばれました。