2009年8月10日(月)へりくだりの神

いかがお過ごしですか。新所沢教会の長石です。
キリストの本質を語る聖書の言葉の中に、次のような一節があります。

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。」「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」フィリピの信徒への手紙2章にある言葉です。

この言葉は、キリストについて三つの事実を教えています。第一に、キリストは神であられたこと。第二に、神である方が、神であることに固執されず人間となられたこと。その結果、第三に、キリストは十字架刑で人間の罪を身代わりに背負い、神の刑罰を受けて死なれたことです。このように聖書が教える神は、へりくだりの神です。キリストは神でありながら人となられ、罪なき方でありながら、十字架刑によって死なれました。もしも神がへりくだりの神でなかったなら、私たち人間は神を知らず、自分の罪深さにも気づかず、自らの罪の報いによって滅びるしかなかったのです。

聖書を通してキリストを見るとき、私たちはへりくだりの神に出会います。それは単なる美徳としてのへりくだりではなく、現実に私たちを罪と滅びから救うために必要な行為でした。キリスト教は、単なる道徳を教える宗教ではありません。現実に人を救う宗教なのです。