2009年10月8日(木)謙遜への道

お元気にお過ごしですか。いずみ教会の小堀です。 今日もご一緒に神様を見上げて歩んでまいりましょう。

謙遜、これはこの世界では、殆ど聞くことのない言葉です。この世界は、謙遜であることよりもむしろ人の上に立つことを求める世界であり、多くの人々はそれを目指して生きています。しかし、私は牧師になって20数年今日まで、この謙遜ということを考えなかった日は、おそらく一日もないと思います。それほど、謙遜に神に従う、これは日々問われ続ける事柄なのです。

洗礼者ヨハネと言う人がいました。彼は粗末な服を着、清貧に甘んじながら、日々、人々に悔い改めを迫り、洗礼を授けた人でありました。心の空白を埋めるべく、多くの人々が彼に従っていきました。
ところが、イエス・キリストが出現すると、人々は今度は洗礼者のヨハネよりも、イエス様の方についていくようになってしまったのです。しかも、イエス・キリストの弟子達も、洗礼を授け始めました。これを見た洗礼者ヨハネの弟子達は、快くありません。「先生見て下さい。みんなあの方のところに行ってしまいます。」 不満を言った時に、この洗礼者のヨハネが言った言葉が、次の御言葉でした。

「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハネ3:30)。

普通ならば、「あの人は衰え、私が栄えねばならない。」 これでありましょう。
しかし、この御言葉の中に私は真の謙遜を見る、そんな思いがいたします。私達も「あの方」イエス・キリストの十字架の死が自分のためであったと分かる時、謙遜への第一歩を踏み出すことができるのです。十字架の死にまで謙遜に従われたイエス・キリストと共に、今日も謙遜への道を歩んで行こうではありませんか。それではまた御機嫌よう。