2009年11月2日(月)貧しい人は幸いである

ご機嫌いかがですか。高島平キリスト教会の豊川修司です。
キリストはガリラヤ湖に近い山に登られ、群集に向かって説教をされました。マタイによる福音書5章3節はその中の一文です。「心の貧しい人は幸いである。天の国は、その人たちのものである。」

貧しい人とは、食べ物や着る物や住む所が不自由で、生活が大変だ、という生活の貧しさを言っているのではありません。すなわち、経済的に貧しい人のことではありません。「心が貧しい」とは、社会の中でもよく使われる言葉です。即ち、お金をたくさん持っていて、何の不自由もなく暮らしていても、心が満たされず、不安や心配事や思い煩いがある人です。

キリストは、不幸か幸せかは物やお金を持っているか、いないかではなく、人間が見るように判断をしません。そうではなく、たとえ、お金や物をたくさん持っていなくても、食べ物を貪欲に求めむさぼるように、命である神様を求める人を「心の貧しい人」と言っています。
そして、この心が本当の幸せであると語っています。神様が持つ幸せの規準は、心の中に神様を貪欲に求めることなのですね。天の国とは神様を貪欲に、無心に求めて生きる世界です。キリストと共に生きてください。